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岸一郎(きしいちろう)とは、1954年のオフから1955年5月21日まで大阪タイガースの監督であった人物。

監督就任までの略歴編集

明治27年生まれ。早稲田大学野球部の投手を務めていた。大正5年渡米遠征も体験。大正7年に当時の超エリート企業、満州鉄道に入社。

藤村のいじめ編集

1954年で監督を辞任した松木謙治郎の後任として、助監督であった藤村富美男あたりが監督になると目されていたが、野田誠三オーナーが連れてきたのは、当時30年もブランクがあり、全くの無名であった岸が就任した。

全く無名の監督がいきなり登場し、しかも新戦力活用のため、功労者といえどもスタメンから外したりしていた。そのため特に藤村をはじめとする古巣のメンバーは当然面白くなく、監督をイビり出していた。特に藤村は兼任助監督であったため、監督の命令で代走を出されようとしたときも、その命令を無視し代走をベンチに追い返したことがあった。

さらに岸は温厚で紳士的タイプであった。その岸が当時選手の派閥の影響が強い球団内で、このように個性の強い選手達を率いていくのは不可能であった。そのため選手からの信任は薄く、巨人戦9連敗という記録を残したこともあり、翌年1955年5月21日、病気療養の名目で退団した。後任は、その監督いじめの代表であった藤村が兼任監督となった。

岸監督の功績編集

岸の監督期間は非常に短かったが、投手では渡辺省三、大崎三男、西村一孔、小山正明を、打者としては田宮謙次郎、三宅秀史など、数多くの若手を新戦力として掘り起こした。また、先発ローテーション制を導入するなど、後々にタイガースの大きな財産となる功績を残していった。

参考情報編集